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退院後の経過(記録)
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2006/12/31 (日)  
ありがとう

2006/12/30 (土)  
2006/12/29 (金)  
退院

2006/12/28 (木)  
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2006/12/7 (木)  
手術日

2006/12/6 (水)  
2006/12/5 (火)  
入院

2006/12/4 (月)  
2006/12/3 (日)  
2006/12/2 (土)  
2006/12/1 (金)  

2006.12.31 (日)  
ありがとう

■しみじみ…
もう2006年も終わりなんですね。
きっと年越しは長野の病院でなんだろうなぁ…と思って入院をしたので、今こうして自宅にいられることを本当にありがたく思います。

先の不安は当然ありますが、我が家は“今”を大切に、一歩一歩噛み締めて生きていこうと決めています。

2006年、湖白のフォンタンという大きな目標を乗り越えた、忘れられない年の締めくくりを迎えました。
湖白、私の所に生まれてきてくれて、本当にありがとう。
湖白のおかげで、我が家は本当に温かいです。

2007年も、頑張っていこう!
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2006.12.30 (土)  
■家族の時間
800ml/dayの水分制限が付いている湖白。お家で自由になったものの、飲み物に関しては徹底的に計って与えています。
大きな手術をして3週間ちょっと。外出は出来ないので、このお正月休みはお家で過ごすことになります。

そこでパパが奮発したクリスマスプレゼントは“wii”
高価なものなので、基本的には私とパパの物とし、時間を決めて遊ぶ約束です。

外は北風が吹き荒れ、溜まった洗濯をしたものの、外に干せない程でした。明日はもうちょっと風がおさまってくれるといいのですが……。

子供は何でもあっという間に慣れますね
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2006.12.29 (金)  
退院

■埼玉へ
朝一番で執刀医の原田先生が湖白の所へ来てくださいました。
『採血の結果を見て、大丈夫なら今日帰りましょう。まぁ多分大丈夫ですよ』

今日は笑顔で抱っこの一枚です
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その後採血を無事終え、万が一のことを考えて一切荷造りには取りかからず、病棟内や廊下をお散歩。
先日湖白のちょうど2週間後にフォンタンを受けたエイトマンの所にも顔を出して話をしていました。

そんな所へ先生が結果発表に……。
CRPは0.8!
微妙だけどOKです!!

湖白の入院生活は25日間で終えることになりました。

湖白がふとエイトマンの手を握りしめました
“大丈夫。次はエイトマンだよ”
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パジャマを脱いで、帰る準備
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私達には信頼できる場所があって
         本当に幸せです…
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次の外来は1月10日。そして2月の終わりには早々カテ入院が決められました。湖白には肺動静脈ロウ(肺の中のバイパス血管)があり、フォンタン術後も酸素なしではサチュレ−ションが73程度しかありません。なので経過を診つつ、必要に応じて対策を練っていかないとならない状態です。

外は夕べ降った雪で真っ白でした。
でも太陽が高く昇り、心配した高速は問題なく走って来ることが出来ました。

夕方、長いこと埼玉でお留守番していた真白の元へ到着。湖白がICUから病棟に移ったとき、廊下でちょっとだけ対面させた以来です。
真白が湖白に
『こはく、よくがんばったね』
と声を掛けていました……。

真白と一緒に毎日遊んでくれていた従兄弟達からも、温かいお迎えを受け、車から降ろせずそのまま会わせることしか出来なかったながらも、プレゼントをもらったり、手を握ってもらったり、本当にありがたいひとときを過ごしました。

自宅は冷え切って空っぽ。
病院で一定の温度の中にいた湖白に風邪を引かせてはいけないので、とにかくまずは環境作りに努めました。
家族みんなが手洗い・うがいを徹底。術後抵抗力が落ちている湖白を守るために出来ることは、やはり基本的な心がけなのです。

真白と湖白は時間の隔たりも無かったように自然に遊び始めました。なかなか元気が出なかった湖白も、嘘のように笑顔満開です。
一足遅れてしまったクリスマスをしよう!と、パパがケ−キを買ってきました。お店の人に事情を話したところ、クリスマス用の飾りも付けて持たしてくれたそうです。

やっと会わせてやれました
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さぁクリスマスをやり直そうね
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今夜は家族並んで寝ます。
湖白が生まれるまでは、感謝さえ忘れていたただ平凡な時間に深く感謝。
湖白のために多大な力を注いでくださった先生方、看護師の方々、そして病棟でのお友達……、本当にありがとうございました。
そしてこのHPを通じて湖白を応援してくださっている本当に沢山の方々、この場をかりて深く感謝致します。

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2006.12.28 (木)  
■入院24日目 術後21日目
明け方に入った抗生剤でいよいよ終わり…という所で、長いこと頑張ってきた湖白の点滴のル−トが詰まってしまいました。
取り直しか?と思っていた所、もう最後なのでこれで終わりにしましょう、と点滴とさよならして始まった一日。

今日は夕方に最後のエコ−を受ける予定以外は何もナシ。なので一日のほとんどを、パパが酸素ボンベを持ちながらの院内お散歩で過ごしました。(もちろん人混みを避けて医局付近など…)

ナ−スステ−ションのホワイトボ−ドには、“退院”の欄に湖白の名前が書かれ、週に一度のシ−ツ交換も、『もう退院なのでいいですか?』と聞かれ、いよいよ本当に迫ってきた感じがしています。

昨年の今頃は、病棟内がノロウイルスで閉鎖状態になっていました。今年はまだそんな騒ぎは聞きませんが、やはり病院なので廊下やまわりからちらほらと風邪の症状が聞こえてきたりしています。ここまで頑張って回復してきた湖白でも、このまま病棟にいたら風邪をもらったりするかもしれません。

そんなことを考え始めたら、さらに早く病院を出たくなってきました。どうか明日の採血で退院許可が出ますように……。

外は雪で真っ白。
明日のお天気は大丈夫かな……。
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2006.12.27 (水)  
■入院23日目 術後20日目
昨日の採血の結果を受けて、退院を諦め、年越しを覚悟しました。今日は日中買い出しにも出掛けたし。
病院の敷地内にある家族のための宿泊施設を延長して予約しておくべきか……、真白を長野に連れてきて、お正月の時だけでもその施設に外泊させて会わせてやれないだろうか……、もう本当にいろいろ考えました。

病院は明日までで一応終わり。事務もストップしてしまいます。そんな事もあって、先生の一言一言を息を呑む思いで聞きました。

と、そんな事を考えていた朝、執刀してくださった先生が湖白の元へ回診に来てくれた際、ふと驚きのお話しがありました。

『抗生剤を2週間使った所で終わりにし、金曜あたりに最後の採血をして結果が落ち着いていたら、そのまま退院にしましょう』

『んっ!!!!!』

15日から使い続けてきた抗生剤。金曜日で丸2週間になります。それが抗生剤を使い続ける時間のリミットだとのことで、引き続き入院をしても処置はなく、経過観察と数日おきの採血しか無いというのです。それならお家に帰り、次回の外来で様子を見ましょう……ということになったのです。

急転回でびっくり!でも叶ったら何て嬉しいんだろう!!
おそらく採血の結果は多少なりとも良くなっているだろうと思うし、遠〜くに感じていた退院が夢じゃなくなってきました。
湖白もいつもの笑顔が戻ってニコニコ。私もパパも、そんな湖白につられて久しぶりにニコニコです。

あとちょっとで点滴ともさよならです
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2006.12.26 (火)  
■入院22日目 術後19日目
今日は採血の日。CRP2.2だった前回から3日が経ち、今日の結果が“1”を切って低くなっていれば次のステップへすすめる予定。それはイコ−ル年内退院が視野に入る大事なステップで……。

朝一番で採血した結果、な、なんと
『1.0』

せめてあと0.1低かったらぁぁぁ、の結果に、パパと2人言葉も出ないほどショックでした……。

でも、県外に退院すること・大きな手術の後であること、そして何よりすぐに再入院なんて事にならないためにも、慎重に経過を追っていく大切さを考えなくちゃいけません。
そう、頭では充分分かっているんですが……。
できれば新年を家族4人で迎えたいと願ってしまって…。

でも、目の前にいる湖白は、日に日に元気になっていきます。家族の時間は取り戻せばいいし、後はなるようになるしかないなぁと思って頑張ります。

病棟で一緒のハイポ仲間も元気です
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2006.12.25 (月)  
■入院21日目 術後18日目
結局…………、夕方パパが再び長野にやってきました。

湖白がどうしても食事を取ってくれず、愚図って泣いて暴れて仕方ない時間が続き、それを心配して駆けつけてくれました。
私たち親にとって、唯一真白の事が大きな心配ではありますが、埼玉にいる従兄弟たちの家族にも支えられ、真白は真白なりに毎日のリズムを作っているようです。

夕べはみんなでクリスマスのお祝いをした様子だし、一日も早く家族が揃えるためにすべき事…と考えた結果、パパは長野に行こうと決めたようでした。

あんなに不機嫌だった湖白が、パパの登場によってご飯は完食、張り切ってお散歩、ニコニコ笑って良くしゃべる、と大変身。やきもちさえ焼きたくなるほどの変化でしたが、今は湖白のストレスをなるべく軽減させることが大切と考え、このまま退院が迎えられることを信じ、明日の採血に望むつもりです。

おやつはクリスマスケ−キだったよ
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2006.12.24 (日)  
■入院20日目 術後17日目
『俺が帰る時は湖白も一緒に連れ帰る!』
と意気込んで火曜日の夕方から長野に来てくれていたパパが帰る日……。

CRP(炎症反応値)が下がるのを願って待ちましたが、上がるのは速くても、数値が落ちていくのには本当に時間を要するようで、クリスマス退院は無くなりました。

埼玉で一人頑張る真白にもクリスマスをしてあげなくちゃ、とパパは一度ここで埼玉に帰ります。今度会う時は退院のお迎え。

でも湖白は、パパがいてくれる毎日に慣れてしまい、帰っていった後は本当に大変な騒ぎとなりました。
ひたすら泣き続け、私からは食事もとりません。頑なに口を硬く閉じて、水分さえ取ってくれなくなってしまいました。

お母さんなんかキライ。

すっかり私は悪者になってしまったようです。

苦い薬を飲ませたり、食べたくないという食事をすすめたり、痛い処置に立ち会ったり…私と2人の入院生活は湖白にとって嫌な事が多かったね。感情をぶつけられるのもきっと私だけなんだろうなぁ。そう分かっていながらも、泣き続ける湖白を抱いて、切なくて仕方ありませんでした。

でも現実問題としては、口から食事や水分が取れなくなると点滴で補うことになりかねません。心配するパパにその状況を伝え、埼玉と長野でこの先どうしようかと相談を重ねた一日の終わりでした。

クリスマスイブで特別な夕食が!
興味を持って今日初めて自ら手を伸ばした瞬間
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日中、執刀医の原田先生とも写真撮りました
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2006.12.23 (土)  
■入院19日目 術後16日目
今日は昨日から順延になっていた採血の日。期待してはいけないと思いつつも、思いっきり期待して結果を待ちました。

結果はまだ2.2。
どう先生にお願いしたって帰れません。

次の採血は3日後。もう腹を決めて、安心して帰れる日まで湖白と頑張ります。

今日は病棟にサンタさんも来てくれました
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2006.12.22 (金)  
■入院18日目 術後15日目
中一日おいて採血の日。CRPがどれだけ下がっているのかばかり気になっていましたが……。

朝一番の先生のお話で、採血は明日まで待ちましょうとありました。おそらく今日採血をしても、0まで数値が下がる事は残念ながら厳しい状況だとのことで、痛い思いをする採血を順延することになりました。

火曜日からパパが来てくれていることで湖白の表情が和み始め、ずいぶん笑顔が見られるようになってきました。
できればクリスマスをお家で……と欲張りもありますが、まずは湖白を中心に。焦らず、焦らず…。

とにかく脚を立てているのが楽みたい
食事中もどうしてもだんだんこうなります…
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2006.12.21 (木)  
■入院17日目 術後14日目
世間はクリスマス間近。頑張ってきた湖白のためにプレゼントをパパと色々考えました。
CRPが下がるのを待つことに絞られてきた入院生活。心配のし過ぎかもしれないけれど、お散歩は別としてプレイル−ムのおもちゃで遊ぶ事を控え、なるべく身の回りの物で遊ぶように心掛けています。
抵抗力の落ちている隙に、ここまで頑張ってきた事を繰り返したくない想いの方が強いからです。

湖白にはそんな想いが分かる筈なく、元気になるに連れて過ごし方に工夫が必要になってきました。
時間の流れが理解できていない湖白には、まぁクリスマスまで待つ必要もないか!ということになり、サンタさんにお願い……。今朝湖白の枕元に“お医者さんごっこセット”のプレゼントが届きました。

湖白の遊び方は本格的。自分がされているだけに、採血を真似してばかりいました。

コハク人形に早速お注射を
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採血も、先生の真似をして
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■ハイポ−ズの仲間であるエイトマンのフォンタンが、今日無事に終わりました。入院が重なったことで、パパママとはその喜びを分かち合う事が出来、忘れられない一日となりました。
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2006.12.20 (水)  
■入院16日目 術後13日目
パパがいてくれることで、ずいぶん表情が軟らかくなってきた湖白。私も私なりに精一杯湖白を見てきたつもりだけれど、やはり湖白には“家族”が必要なのだと思います。

パパ効果で朝からお散歩
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リンパの腫れが始まって以来、本当に長いこと熱が続いてしまったのでお風呂にも入れず、いいかと思った所でドレ−ンの抜糸があったり中耳炎疑惑があったりで頭も洗えず、記録だけ更新してましたが……今日やっと、術後初めてお風呂に入りました!

湖白は人にあれこれされる事自体がストレスなようで、100%嬉しい〜という訳ではなかったけれど、お風呂に入れてきれいにしてあげることが出来、本当によかったぁ。

気持ちよかったね
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血液検査の結果、白血球の数はほぼ正常範囲に入ってきましたが、炎症反応CRPがまだ5ほど。フォンタンという大きな術後なので、CRPが0になる所まできちんと診ていきたい、と昨晩も先生に説明を受けた所です。
今はそれが湖白にとっての退院への大きな基準値です。

先日退院したマサキくんが面会に。
  明日フォンタンのエイトマンと3人で。
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2006.12.19 (火)  
■入院15日目 術後12日目
昨日一日真っ赤だった湖白の目。今日朝一番で眼科の先生に診ていただきました。
診察前に瞳孔を拡散させる点眼をし、診察室では眼底を検査。そして何の異常もないことが分かりました。

先生が下した診断は、先天性心疾患児に見られるチアノ−ゼ充血とのこと……。

昨日の日記にも書いたように、湖白にも日常的に多少の充血がありました。それがすでにそうだった訳のようです。
私の中でまだきちんと整理できていないので、もう少し情報をしっかり収集してから書きたいと思いますが、そういうわけで特に治療もなく、そのままにしておくことになりました。
今日になって実際湖白の目の赤みは引き、ほとんど目立たなくなりました。昨日ほどに赤いままでは……と思っていましたが、このくらいなら問題なさそうです。
フォンタン循環にしたことで、湖白の体内ではまた新たな変化が起きているのかもしれません。

夕方には耳鼻科の先生が病室まで来てくれ、昨日のCTで上がった中耳炎の疑いを診てくださいました。
結果は、中耳炎では無く、なんでもないとのこと。きれいに耳掃除をしてもらって終了となりました。

押さえつけられて機嫌が最高に悪くなった湖白の元へ埼玉からパパが。ちょこちょこ出てくる湖白のトラブル続きを心配して、急遽駆けつけてくれました。
今回パパは、今度自分が帰る時は、湖白も一緒に!位の意気込みで来たと話しています。24日まで院内の宿泊施設を予約したようです。
さぁ湖白、あとは元気を取り戻すのみ。
埼玉の真白の為にも、頑張ろう。

湖白のベッド
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真白も応援しているよ
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2006.12.18 (月)  
■入院14日目 術後11日目
朝起きてすぐ、また新たな症状が…。湖白の目が真っ赤!!
もともと湖白の白目は多少の充血がいつもありましたが、こんなにも酷いのは初めて。目やにもなくかゆみや痛みもナシ。ただ赤いだけの様子でした。
首の次は目。本当にトラブル続きです。
明日朝一番で眼科の先生に診ていただくことになりました。

そして今日はCT検査の日。首のシコリを詳しく調べることが一番の目的ですが、一緒に胸部まで撮り、問題がないかを厳しく診てもらえることになりました。

造影剤のためにもう一つラインを確保
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お昼寝の眠たさもある筈ながら、座薬の眠くなるお薬を入れても、些細なことで目を覚ましてしまう湖白。予約の時間が来ても意地で目を開けている状態で、結局座薬を追加。それでも湖白は眠らず……。

CT室まで抱っこのまま行き検査台に寝かせ、検査のことを説明すると、湖白なりに納得してゆっくり目を瞑ってくれました。
そして検査が始まりましたが……。

後々先生にうかがった所、やはり湖白はその後も目を覚ましたようで、お母さんはいるか?など質問をしたようです。造影剤を流すために取られたラインから、即効性のある眠くなる薬をさらに追加し、先生も再度湖白にお話しをしてくださり、やっと検査に入れたとのことでした。

結果としては、リンパの腫れは小さくなってきており、膿を持つ物ではないということ。もしかしたら中耳炎が起きている可能性があるようで、明日耳鼻科の先生に診ていただくことになりました。
心配した胸部は問題なし。胸水も無くきれいだったとのことでした。

追加した薬は検査後も余韻を残し………。
結局13時からの検査のために使った薬だったのに、消灯時間まで眠り続けました。入院して以来、こんなにまとまった睡眠は、湖白にとっても初めてだったかもしれません。

おつかれさま、湖白
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2006.12.17 (日)  
■入院13日目 術後10日目
湖白の首のシコリが少しずつ小さくなってきた様子。確かめようと手を伸ばすと嫌がられるので、はっきりした訳じゃないんだけれど……。

日曜日のため、処置はほとんど無い湖白にとっては気の休まる一日だったかな。少〜しだけだけど、湖白の笑った顔を見ることが出来ました。

外に熱気球が見えました…
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執刀してくださった先生から、明日の月曜日にでも首から胸部にかけてCTを撮りましょう、とお話しがありました。先生は湖白の心臓を知っているわけだし、首のしこりだけでこんなに何日も熱が続いていることをとても心配しているようでした。

シコリ+発熱+口内の荒れ騒動からずっとベッドを離れることがなかった湖白ですが、今日は私と手を繋いで少しだけお散歩しました。ブレイル−ムの公衆電話から埼玉にも電話してみましたよ。

まだ湖白のベロは、私が人生で初めて見る悲惨な荒れよう(それでも良くなりつつある)ですが、少しでも食が進み、元気を取り戻して欲しいものです。
普通なら厳しくて苦労するはずの水分制限600ml/dayも、湖白は全く水分を欲しないタイプで、今日に至っては300ml足らずしか。常に点滴で補うか…の脱水と背中合わせです。

これでもかなり良くなってきました
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2006.12.16 (土)  
■入院12日目 術後9日目
夕べ一晩、本当に辛い時間が流れましたが、夜が明け、夜中2度ほど使った座薬が切れた時間になっても、昨日よりは少し元気があるかな…といった所です。

水分量が最低量口から取れていないので、夜から水分と栄養が点滴でゆっくり入れられることになりました。リンパの腫れに対しても、同じラインから定期的に抗生剤が入れられ、先生方が厳しく診てくれています。

アデノウイルスや溶連菌などの菌は否定されましたが、まだ培養の結果待ちの物もあり、はっきりと原因は未だ分かりません。いずれにしても、夕べの辛かった時間が“山”で、ゆっくりでも良くなっていってくれればと思います。

パパに会えて良かったね……
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まだ湖白の表情はほぐれてきません
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2006.12.15 (金)  
■入院11日目 術後8日目
湖白があまりにピリピリしているので、夕べは小さいベッドに添い寝しました。

湖白は一晩中8°台をキ−プ。やはり首のシコリが関係しているようでした。術後一週間が経ち、少しずつフォンタン循環に慣れてくるのかなぁと思っていた所での熱。
人工血管が体内に入ったことで、これからずっと飲んでいかなければならなくなった“ワ−ファリン”の説明を受けたり、在宅酸素のお話しもちらほら出ていたところでしたが、一気に湖白の状態が良くない方へ陥ってしまいました。

胃は痛いし、口内も痛いし、熱はあるしで機嫌も当然ながら悪く、食事も進みません。泣いてばかりで目も腫れぼったくなってしまいました。
真白と埼玉にいるパパに状況を連絡したところ、急遽湖白の元へ急いで来てくれることに。原因を調べるために採血などが続いた湖白にとっては、パパの抱っこは本当に嬉しかったようでした。

リンパの腫れを調べるためにエコ−も受けましたが、今日の時点では膿を含んだ物ではないと分かり、ちょっとだけ安心。喉が赤くなっているようなので、おそらく口内や喉から何らかのばい菌が入り、それがリンパを腫らせ、そして熱につながっているのではないか?と言われています。

一晩中9°ちょっとまで上がる熱が続き、座薬が効いている間だけ眠れるというのを繰り返しました。何とか少しずつでも快方へ向かってくれるといいのですが……

また個室に移り、少し暗くしたりして
      いろいろ工夫を試みました
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2006.12.14 (木)  
■入院10日目 術後7日目
昨日見つけた首のシコリは消えず、さらにちょっと酷くなった感じすらしていて、熱も7°台をキ−プ。ベッドの上でも昨日に輪をかけて元気が無い湖白でした。

日中、お腹を温めてさすり続けた成果もあり、自然と便が出てホッとしたのもつかの間、やはり食事の時になると、一口食べてすぐにお腹が痛いと訴え、今日一日ほとんど食事も出来ず、600ml/dayという厳しい水分制限にもかかわらず、それにとどかない量しか飲めない状態でした。

どう見ても、湖白が痛がっているのは“胃”。
そう確信したので先生に相談し、胃薬を急いで出してもらいました。それと同時に湖白の口の中がめっちゃくちゃに荒れて、血だらけになっていることに気付き、飲むことすらきつかったことにその時初めて気付きました…。

飲んでいる薬の量+様々なストレスにより、胃も口内も気持ちもズタズタ。日頃気が強い分、湖白には大きなストレスとなっているようでした。

『お父さんと真白に会いたい…』
そう泣かれ、切なくて私も一緒に泣いてしまいました。情けない私です。

真白のビデオを見ながら泣く湖白
     もうすぐ会えるからね……
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2006.12.13 (水)  
■入院9日目 術後6日目
今日の湖白はぐったり。
元気もないし、長野の雨模様と同じでした。

確保してあった右手のラインが抜かれ、両手自由になったけど遊ぶ元気なし。昨日のように歩くなんて事はとんでもなく、一日中ベッドの上で涙目でした。

午前中、ふと左側の首にシコリを見つけ、先生に報告。ぽっこり腫れていて触ると痛がりました。小児科の先生に診てもらった所、一過性のリンパの腫れではないか?との事で、このまま酷くならずに引いていってくれることを祈っています。
そのせいなのか一日中微熱があり、加えて、手術時に入れた尿道カテ−テルがどうも内部を傷つけてしまったようで出血。今までもちょっとの出血はありましたが、今日はどっと出たのでびっくりし、先生に診てもらいました。
きっと治りかけて固まった血が出た物だろうということで、またこちらも様子見です……。

術後自分で排泄も出来ておらず(腸の動きの回復が未だいまいち)、夕べは夜中2時に浣腸騒ぎ。お腹が痛い〜と、たくさん泣かれました。
今日も日中浣腸。出してあげないと苦しくなるし…でも浣腸も苦痛そうだし…、湖白はかなり暗いオ−ラを放っています。

浣腸後頑張る湖白←それでもフォンタン体勢
(排泄中は恥ずかしがっていつも顔を隠します)
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2006.12.12 (火)  
■入院8日目 術後5日目
私から見れば到底無理に思えたお座りや歩行も、先生や看護師さん達は、湖白自身が大丈夫なら出来ると言います。

確かに私自身が帝王切開で出産した時も、24時間以内には自分で歩いて我が子を見に行ったし、出来るだけ動いた方が回復につながるとも言われたけれど……。

フォンタン循環がまだ馴染まず、とにかく気怠そうにしている様子を見ていると、なかなか『抱っこしようよ』位しか言えない私でした……が!

湖白が眠った隙にシャワ−に行って来たら、病室から湖白の泣き声が。慌てて病室に入ると、ベッドの上に座って泣いて怒っている湖白がいました。
聞けば自分で起きたらしく、その気力にはびっくり。
その後寝る前には自ら『歩いてみる』と言い、ドレ−ン一本付けたまま病棟内を少しお散歩。少しふらつきましたが、私と手を繋いでいればゆっくりながらしっかり歩けました。

湖白、よく頑張ったね。
でも、ゆっくり良くなっていけばいいからね。

自力で起きて怒っている湖白
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2006.12.11 (月)  
■入院7日目 術後4日目
昨日、夕飯を食べ終えてじきに眠ってしまった湖白。久しぶりに深く眠ったようでした。
それでも色々夢でも見ているのか、ビクッと起きたり。
湖白も一生懸命なんだと思って気になっていたら、ほとんど眠れずに朝が来てしまいました…。

長野はさすがに冷え込みが厳しいみたい。病室にいながらも、窓際に簡易ベッドで寝ていたら、すきま風が冷たい〜。
夜の私は重ね着でだるまのようです。

病室から見える山々は絶景。朝日を受けて本当にきれいでした。湖白に、
『お山見てごらん、きれいだね』
と言ったら、
『あんなに大きくちゃ登れないよ』
って言ってました。どうも登る気みたいです。

山が守ってくれてるような気持ちになります
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お昼前にドレ−ンが3本中2本抜けました。湖白にとってはドレ−ンがお腹から出ている事がとても不快だったはずですが、抜く処置でテンションが下がり、午後からはずっと先生と目線を合わせず拗ねたままでした。
術前の体重11.3kg、今日の体重10.9kg
水分制限は600ml/day

すっきりしてよかったね
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食欲も少しずつ出てきました
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2006.12.10 (日)  
■入院6日目 術後3日目
湖白が病棟に移れる事になりました。
昨日もそのお話しがありましたが、湖白のお腹がどうもうまく動き出していなかった為、しっかり様子を診る時間に充てられました。

もう食べてもお腹いたくないよ
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パパ、お世話ありがとう
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病棟行き決定の連絡をパパからもらい、私は真白を連れて長野へ。ICUから病棟に移る廊下での対面を叶えてやりたかったからです。

私も到着後すぐに面会へ
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真白に、
『よく頑張ったね。元気になったらまた一緒に遊ぼうね』
と頭を撫でてもらった湖白。
面会が叶わない兄妹にとっては、とても貴重な時間となりました。

会えてよかったね…
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病棟に移ってからは、やっとICUでの緊張が解け始め、いろいろしゃべり出しました。浅い眠りを繰り返していた湖白は、安心してぐっすり。今夜は暗いお部屋で静かに眠らせてあげたいです。

本当に自然と脚を組んだ体勢をしてました
   (フォンタン術後はこれが楽なようです)
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そして真白とパパは埼玉へ。今夜からは湖白と私で頑張ります。
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2006.12.9 (土)  
■入院5日目 術後2日目
今日は真白のお遊戯会。
昨日で私たち両親の待機が解かれたので、今日はパパに湖白を頼み、朝早く私ひとりで埼玉まで車で戻りました。

『手術は体にとって最大のストレス』

その言葉には重みがあります。
湖白のサチュレ−ションが思うように上がってこないのには、術後弱っている肺機能の問題もあるようです。それが時間の経過と共に少しずつ改善され、今日は頭に被せられていた酸素ボックスが外され、もう少し簡単なマスクに変わったようです。

埼玉では真白が“一寸法師”を熱演してました。色々な想いが胸一杯になって、泣けて泣けて仕方ないお遊戯会でした……。

今日はパパと過ごす一日
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ビデオも見せてもらったようです
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2006.12.8 (金)  
■入院4日目 術後1日目
予め予想されていた通り、湖白のサチュレ−ションは低めです。鼻に直接チュ−ブで酸素を吸わせるのと平行して、頭にアクリルケ−スを被せ、その中にも酸素が送られています。

意識が戻っている湖白には耐えの時間
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点滴で水分も補われつつ、経口で水分の摂取が開始。
300ml/1日の予定でスタ−トしました。

喉が渇いて泣く→さらに喉が渇いてしまう の悪循環の中、限られたちょっとの水分を勢い良く吸い過ぎてむせったり。口を潤す程度の量だけなので、湖白には納得いかない様子だったけど、今は仕方ないのです。

飲むだけでサチュレ−ションが
         下がってしまいます
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湖白は、親の私が見ていても立派だと思うくらい、あまり愚図ることなくただただ耐えてじっと横になっていました。
深く眠れないせいや、昼夜の境がはっきりしないICUの明るさなどもあり、目を覚まして少しすればまた浅く眠り…を繰り返していたようです。
私たちが面会に入ると緊張が和らぐのか、声もなく涙を流す湖白。その顔は、本当に頑張っている顔でした。

湖白、会いに来たよ
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日中、湖白に何か好きなヨ−グルトやゼリ−を与えていいと言われ、急いで買いに行きました。冷たいゼリ−の口当たりが気持ちよかったようです。

おいしかったね、よかったね…
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体拭きの時間に合わせて面会に入り、湖白の顔や体を丁寧に2人で拭いてあげました。
まだ手術して一日と思うと、湖白の体に触れるのは少し怖い気もしたけど、少しでも湖白の緊張が解ければ…と思いつつ、そっと拭いてあげました。

湖白の体はとても緊張していました
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夜、早くも湖白に夕飯が用意されましたが、食べさせ始めてじきに具合が悪くなってしまいました。
術後、まだ腸の動きが戻ってきていないので、消化できずに苦しくなってしまったようです。
だってまだ一日……。焦らず、急がず、ゆっくり回復に向かって欲しいと願っています。


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2006.12.7 (木)  
手術日

■フォンタン手術日
いよいよこの日がやってきました。
夕べは湖白の小さいベッドに一緒に横になり、湖白を抱きしめて眠りました。

体重11.3kg、身長89.5cm
体調は万全のまま今日を迎えることが出来、熱もなく◎。
朝、喉が渇いたと言いながら目覚めた湖白に最後の水分を取らせ、今日どういう事があるのかをもう一度話しました。

パパの実家からは、両親が真白を連れて早朝から長野に向かっていました。手術室に入る準備で眠らされてしまう前に対面が叶えば…と思っていた所、絶好のタイミングで到着。たくさんの家族に直接会って湖白を励ましてもらえました。

『こはく、がんばるんだよ』
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その後湖白は点滴をとるために処置室へ。看護師さんに抱っこされて大暴れ・大泣きで入っていきました…が、あっという間にその泣き声は止まり、ラインも取り終えて戻ってきた湖白。看護師さんに聞くと、涙をこぼしながらも
『これを頑張ればお母さんに会える?』
『もう終わり?』
『ありがとうございました』
と話したそう。

ずいぶん湖白も大きくなったんだなぁ……
私なりに色々話しはしてきたし、泣いて騒ぐともっと痛いよ、とも話してきたけれど、今日は朝から私よりも冷静な湖白でした。

9時過ぎに眠くなる薬をお尻から入れ、みるみるまぶたが重くなりながらも必死に目を開け続け、結局9;25手術室への移動までもぼんやりながら目を開けていました。
廊下の移動中は真白が湖白の手を握り、私たち家族が折った千羽鶴の中の一本だけ、お守りに湖白と一緒に連れて行ってもらいました。

入室直前
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長い待機中は居ても立ってもいられないと思い、あらかじめ用意しておいた編み物をして待ちました。今年は子供達に、私が編んだマフラ−をプレゼントしようと(それくらいしか出来ず…)思ったからです。
編んで編んで……時間が流れ、でもまだまだだろうと思っていた2:45、ICUから内線があり、経過報告だと思っていたら湖白の手術が終わったとのこと。すぐに面会に行きました。

手術直後
湖白、よくがんばったね、えらかったね…
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今はゆっくり休んで…
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■湖白の体内には、体が大きくなっても許容範囲となる直径18mmの人工血管が使用され、静脈圧は12〜13mmHg。肺動静脈瘻があるためにサチュれ−ションは人工呼吸器を付けていても88程でした。
今後時間は要するかもしれませんが、肺動静脈瘻が消えていくに従ってサチュレ−ションは上がってくると考えられています。それでも湖白の肌は今までとは全く違う血色の良い色をし、指先も温かく爪はきれいな色をしていました。

湖白の温かい手
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湖白の手を握ったら、もう涙しか出ませんでした。
ちゃんと帰ってきてくれてありがとう……。

19:10抜管。かすれた声で色々訴えています
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このまま眠って時間が流れますように…
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これからまだ油断は出来ない時間が続きますが、ひとつ大きなハ−ドルを無事に越えられました。
心配してくださったたくさんの方々、本当にありがとうございました。
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2006.12.6 (水)  
■入院2日目
今日はエコ−のみで他は特になし。以前はカテ入院でも、病棟に入るなりすぐに点滴のラインを確保されましたが、今は寸前までそれもなく、湖白も手の不自由が無かったので自由でいられました。

湖白としては、もっと出歩いてお散歩もしたいしプレイル−ムでも遊びたい所。でもここまで細心の注意を払って風邪を引かせないようにしてきた事を思うと、病棟内にもある風邪菌をもらわないようにするため、なるべくベッドの上で遊ばせることに努めました。
じっとしていることに飽き飽きになり、
『お母さんなんかキライ!』
って言われたけど、ここは我慢。頑張ってきたことを無駄にしないためにも、明日のために我慢の一日でした。

そんな湖白の所にプライマリ−さんが。
     一緒にリ−スを作ってくれました…
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パズルもたくさんしたよ
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2006.12.5 (火)  
入院

■長野県立こども病院へ入院
真白を始めたくさんの家族に見送られ、7000羽の鶴と荷物を積んで6:30長野に出発。
心配した湖白の体調は◎。鼻水も咳ももちろん熱もナシ。色々話しもしてきたせいもあり、自分が病院に行くということも理解している中での出発となりました。

長野県豊科インタ−に到着
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■外来を通ってから病棟に入院。しばらくして採血がありましたが、始めは泣いて嫌がったものの、私たち両親も一緒に処置室に入っていいと言われて湖白に説得を試みた所、大粒の涙をこぼしつつも自ら腕を出し、先生に任せてじっと採血を頑張りました。

■9月終わりのカテ入院+10月半ばの緊急入院の経験が湖白に残っていたようで、入院そのものには特に抵抗がなかった様子。ただ、時間や曜日というものの理解がまだ出来ていない湖白は、先の予定を理解させるのは難しく……。採血を終えた時点でもうお家に帰れると自分なりに思ったようでした。
しばらくは病院にお泊まりだということ、その中に手術があること、は何となく分かっている程度です。

元気な湖白に救われます
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2006.12.4 (月)  
■行ってきます
いよいよ明日入院と迫りました。
約一週間ぶりに幼稚園に登園していった真白は、昨日みんなで一緒に過ごしたこともあり、ずいぶん気持ちも落ち着いたようです。
真白の元気は我が家のバロメ−タ−(特に私のですね)。緊張はしているけれど、そんな真白を見て少し安心できた私でした。

今回の湖白の手術には、本当にたくさんの方々から応援をいただいています。こんな形では失礼かと思いますが、この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

あとはいいお知らせが出来ることを祈って頑張るのみ。
明日は朝6:30出発の予定です。
しばらく様子を更新出来ないと思いますが、みなさんの気持ちを胸に、家族一丸となって行ってきます!!

今日の湖白姫。
 今まで風邪も引かずによく頑張りました◎
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2006.12.3 (日)  
■家族みんなで
真白の風邪も落ち着いたので、今日から合流。火曜日以来やっと4人が揃いました。

・車のタイヤをスタッドレスに履き替え。
・荷物の最終確認をしつつ、最後まで冷蔵庫に残ってしまった物の整理。
・最後の洗濯。
・ゴミの始末。
・ご近所への挨拶………。

とまぁ色々あってなかなか家を出られず、結局午後になってしまいました。
パパの実家では私が食事の支度をすることになっていたので、子供達の食べたいものを聞いて準備。
先週の日曜日に家族でやった手巻き寿司がよほど楽しかったのか、今日もリクエスト。おじいちゃん、おばあちゃんも交え、みんなで楽しく食べました。
食欲がほとんど無かったという真白もたっくさん食べていたし、みんなが揃う選択は正しかったと実感。

あとはもう前進あるのみ。
そして湖白を信じるのみ。

家族が揃って湖白も上機嫌に
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久しぶりに真白と会えたね
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2006.12.2 (土)  
■切ない思い
夕べ遅くの夜中1時過ぎ、パパが真白の枕を取りに戻ってきました。
どうしてこんな夜中に??
真白は当然寝ている時間だろうに……。

我が家にやってきたパパに話を聞いてみたところ、火曜日から幼稚園にもずっと行けないまま、突然始まったパパの実家での毎日。真白の病状は回復に向かっているものの、精神状態はもう限界で、昨日の晩も夜泣きのように愚図って大変だったというのです。

それでももう6歳。お母さんに会いたいなんて事も口にせず、ただただおとなしく慣れない環境の中で過ごしていたのです………。

寝付きの悪い真白を見て、せめて使い慣れた枕だけでも持って来ようとパパは思ったようですが、その場で相談し、パパが仕事に間に合うギリギリの時間まで私とパパが交代しようということになったのです。

すやすや眠る湖白をパパに託し、私は急いで車を走らせパパの実家へ。両親は既に眠り、奥の部屋で真白が眠りつつも愚図ったような感じで布団をぐちゃぐちゃにしていました。
可哀想だと思いつつも、しつこく声を掛けて一度ちゃんと目を開けさせ、私が来たことを理解してもらい、少し話をしてから真白を抱きしめて眠りました……。

色々考えて私はほとんど眠れない一晩でしたが、久しぶりに顔を見た真白がなんとも可哀想に思えて仕方ありませんでした。
湖白は湖白で、
『どうして湖白は、病院に行ってパカッとして(手術のこと)絆創膏貼ってもらって、お注射して、ピッピッてして(サチュレ−ション計測)もらわないといけないの? 真白と会いたいよ』
って言ってくるし、もう切なくて切なくて。

真白には、あと一日土曜日の今日頑張って、明日の日曜日から4人一緒に過ごそう、と話し朝早くに再び別れました。
入院前の風邪騒動……。真白の気持ちのケアに努めてあげたいです。
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2006.12.1 (金)  
■荷造り
真白の風邪さえ落ち着けば、日曜日には自宅を出て実家にいるパパと真白に合流するつもり。
ということは荷造りもいい加減本格的にしていかないと……。

やはり湖白が起きている間は捗りません
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荷物を詰めると言うことは、洗濯物のタイミングも考えていかないとならない訳で。
湖白のものは、前開きの下着やパジャマを有るだけ持って行こうと思っているので、夜のパジャマは真白のお古を引っ張り出し、かぶりの物をあれこれ着せました。寒くなければそれで◎。

そんな中、今日も沢山の方々からメ−ルを戴き、そして我が家にプレゼントや千羽鶴を届けてくださいました。
千羽鶴は、私自身が折ったものも有るけれど、なんと7000羽。
皆さん、本当にありがとうございました。全部長野に持って行って頑張ってきます。
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